花見

 

花見(はなみ) 3月下旬~4月上旬(関東地方) Hanamib

満開の桜の花を見て楽しむ。
桜の木の下で、宴を催す。

 

日本気象協会 2009年桜開花情報
 http://tenki.jp/sakura/

気象庁発表、2009年の東京の桜の満開は4月2日でした。
 http://www.data.jma.go.jp/sakura/data/sakura2009_mankai.html 

 

 

日本では昔から、花といえば「桜」を指します。
現代でも桜は日本の代表的な花であり、日本の「国花」です。

日本では四季折々に花を愛でる習慣がありました。
梅、桜、桃、ウツギ、ツツジ、シャクナゲなど、
多くは山の花木を対象としていましたが、単に「花見」
と言えば、やはり桜の花を見ることをいいます。

桜はバラ科サクラ属で、野生の桜が約100種類、
園芸種が約300種類あるそうです。白色、淡紅色、Turugajou
濃紅色、八重咲きのものなど様々な品種があります。

園芸種は、野生の桜をもとにして江戸時代から作られてきました。
代表的な野生種は「山桜・ヤマザクラ」で、奈良県の吉野山は、
「吉野桜・ヨシノザクラ」の名所として知られています。

現在親しまれている「ソメイヨシノ」は、江戸時代末期、
江戸染井(現在の東京都巣鴨周辺)の植木屋が、
野生の「オオシマザクラ」と「エドヒカン」をかけ合わせて
作ったといわれています。

山桜が「吉野桜」と呼ばれていたことから、「ソメイヨシノ」と
名付けられたようです。「ソメイヨシノ」はその華やかさから
人々に好まれ、日本全国に広まりました。今では
「吉野桜とはソメイヨシノのこと」と、誤用されるまでになりました。

 

桜前線

3月になると毎年、気象庁から「さくらの開花予想」が発表されます。Hanamia
これはマスコミや一般の間で、「桜前線」と呼ばれています。

桜の開花の日が等しい地点を結んでいる線が、
 (さくらの開花予想の等期日線図)
天気図上の前線に似ているため「桜前線」とたとえています。

観測されるサクラは主にソメイヨシノですが、ソメイヨシノが
生育できない地域では別の品種が標本木に指定されています。
北海道北部は「エゾヤマザクラ」、東部は「チシマザクラ」、
沖縄や南西諸島は「ヒカンザクラ」です。

「さくらの開花予想」は、お花見やイベントの時期の目安に
されています。桜前線は季節の進行につれて、南から北へ、
低地から高地へと順次移行していきます。
ソメイヨシノの開花は、九州と北海道では約1ヶ月半もの
開きがあります。

 

花見は信仰行事 桜は「稲の神が宿る木」Sakuraa

さくらの「さ」は「稲の霊」、「くら」は神の居る場所をあらわす
「神座」(かみざ)を意味します。

農村では桜を田の神の「依り代」(よりしろ)と考え、
神を迎えて豊作を祈る儀式が行われていました。
桜の木の下で神と共に飲食したり、花を持ち帰って
庭や田の水口(みなくち)に立て豊作を祈願しました。

花見は単なる風流や行楽ではなく、もとは信仰行事だったのです。

 

花見の宴

万葉集の時代、公家や貴族は桜ではなく梅の花見をSakurab
楽しんでいました。

広仁三年(812)、嵯峨天皇が神泉苑で「左近の梅」を
桜に植え替えて、「観桜の宴」を開きました。
これが桜の花見の始まりで、これ以降花見というと
桜を指すようになったといわれています。

その後、古今和歌集には桜がたくさん詠まれ、
武士の間での花見も広まっていきました。
慶長三年(1598)三月、豊臣秀吉が醍醐寺三宝院で
催した豪華な宴、「醍醐の花見」は有名です。

江戸時代には、庶民の間でも花見を楽しむようになり、
花見の名所が生まれ春の行楽として定着しました。
現代でも毎年桜前線の北上に伴い、全国各地で
多くの人が集まり花見の宴が催されています。

 

運を開く心がけ

花見は、もとは神と人との間で交流交歓の飲食をするSakurac
という信仰行事でした。

古来日本人は、植物には精霊が宿っていると考えてきました。
自然に生命力を感じ、自然の霊力を分けていただくというのが
原点でありましょう。
それゆえ花見には、神への畏敬の気持ちがなくてはなりません。

近年、カラオケを持ちこんで騒音を立てたり、桜の木の下で
バーベキューをしたりする花見がまかり通っていますが、
本来の意味とはかけ離れています。

神様は楽しいことがお好きなので、賑やかにするのは良いことです。
しかし電気で増幅した音量のカラオケや、花を汚す煙や臭いを出す
バーベキューは、花見にはふさわしくありません。

これでは精霊から霊力を授かるどころか、精霊の怒りに
触れてしまいます。他の花見客にも迷惑をかけるので、
人々のマイナスの気も受けてしまいます。

昔ながらの、重箱に詰めた手作りのご馳走と生の声による
歌や歓声こそが、神様を喜ばせるのだということを心得ておきましょう。

マナーをわきまえたやり方で神と精霊をもてなし、
霊力と運気をいただくように心がけましょう。

 

 

 さくら             日本古謡Sakuran

 

1.  さくら  さくら
   野山も里も        見わたすかぎり
   かすみか雲か      朝日ににおう
   さくら  さくら       花ざかり

2.  さくら  さくら
   やよいの空は      見わたすかぎり
   かすみか雲か      匂(にお)いぞ出(い)ずる
   いざや いざや      見にゆかん

 

   『うたの本(下)』  明治16年

 

 

 

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春分の日

 

春分の日(しゅんぶんのひ)    3月20日Haru

「自然をたたえ、生物をいつくしむ」
という趣旨で、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日。

 

春分

二十四節気の一つ。啓蟄から15日目頃。
太陽の黄経が0度の時。旧暦二月の中。
太陽の中心が春分点上にあり、昼夜の長さがほぼ等しい。
この日を境に昼が長く夜が短くなる。

 

二十四節気の一つ「立春」(2月4日頃)の頃は、
まだまだ寒い時期でした。二十四節気は季節を先取り
しているため、一般には「立春」で春という実感はありません。
「春分」の頃となると、正に誰もが春を感じる気候となります。

 

二十四節気Harup

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従って
1年を24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しかないため、
実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。
 

季節   名称

    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候Sakurai

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分して
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

春分は、
初候  雀始めて巣つくる  (すずめはじめてすつくる)
二候  桜始めて開く    (さくらはじめてひらく)
三候  雷声を発す     (かみなりこえをはっす)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、動植物の活動などを表しています。

 

太陰太陽暦

日本の旧暦のことで、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦です。
つまり、月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていたのです。

 

暑さ寒さも彼岸まで Azarasi

彼岸を境として、厳しい寒さや暑さが衰えて、良い気候に
なることを言っています。昼と夜の長さが同じ彼岸の中日は、
春秋ともに季節の変わり目といえます。

しかし最近は地球温暖化のせいで、「厳しい寒さ」という日が
少なくなっているように思います。(但し温暖化と暖冬は違います。)
私は東京近郊に在住ですが、子供の頃(昭和30年代)は
毎朝のように庭の池やバケツの水が凍ったものでした。
それが今は一冬に数日有るか無いかになりました。

その反対に夏は、昔は30℃を越える日は一夏で数日だったPenguin
ものが、今ではその位の気温は普通になってしまいました。
地球温暖化以外にも、都市化など複合的な原因が絡んで
いるのでしょうが、確かに昔より気温が高くなっているのを
実感しています。

温かいということは、人にとっては都合の良いことであるように
思われがちですが、地球温暖化は人類の危機を招くものです。

「すでにかなり深刻な状態である」と警告している専門家が
大勢いらっしゃいます。地球温暖化に異論を唱える人も
いますが、南極や北極の氷が解け、南太平洋の島国
ツバルが水没しつつあることは、まぎれもない事実です。

また世界各地で異常気象が起こっているのも、まったく
関係の無いことではありません。生態系に異変が起きて
いることも、多くの例が挙げられています。

手遅れにならないうちに、早急に対策をとらなければ
なりません。
しかし、経済優先の社会であり、地球の未来や子孫の
ことよりも、自分のわがままを優先する人が多く、
真剣に考えようとしない人の方がまだまだ多数のようです。Polarbear

一人一人がもっと意識して、温暖化に歯止めをかけましょう。
「自分一人でどうにかなるものではない」とか
「自分一人くらいはどうでもいい」という言い訳をしてはなりません。
一人一人が地球に負担をかけているのですから、
一人一人が気を付けなければなりません。

地球を思い地球を愛すよう、心がけましょう。
地球を愛する心は、人類を愛し、子孫の繁栄を願う心と
なります。自然界のすべてを愛し感謝する心となります。

そういう心が神々との交信を可能にします。

 

 

春が来た   作詞/高野辰之  作曲/岡野貞一Hinagiku

 

1.春が来た    春が来た    どこに来た
  山に来た    里に来た    野にも来た

2.花が咲く     花が咲く    どこに咲く
  山に咲く     里に咲く    野にも咲く

3.鳥が鳴く     鳥が鳴く    どこで鳴く
  山で鳴く     里で鳴く    野でも鳴く

 

    『尋常小学読本唱歌』  明治43年

 

 

 

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春の彼岸

 

春の彼岸(はるのひがん) 3月17日~23日Geranium

春分の日を中日としたその前後7日間。
雑節の一つ。
始めの日を「彼岸の入り」、中日を「彼岸の中日」、
終わりの日を「彼岸の明け」という。
この間に、お墓参りをしたり、先祖の霊の供養をする。

 

彼岸会

仏教では、彼岸会(ひがんえ)を行ない、
祖先の霊を慰める法要を営むこととしています。

彼岸会は、桓武(かんむ)天皇の延歴24年(805)の頃、
皇祖の追善供養のため、春と秋の彼岸7日間に、
全国の国分寺で金剛般若経を読経させたのがHigann
始まりといわれています。
平安時代から朝廷で行われた彼岸会は、
江戸時代には、庶民の間にも年中行事として広まりました。

「彼岸」とは、「向こう岸」という意味です。
こちら岸にあたる現世は、「此岸(しがん)」といいます。
「此岸」の欲望や迷い、悩みを断ち切り、
生死の海を渡って到達する終局、理想、悟りの世界が「彼岸」です。
つまり煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)した境地をいいます。
在家の人々に、この期間だけでも「彼岸」を求めさせようとしたのが、
「彼岸会」の起こりだそうです。

 

彼岸の行事

古く日本には、季節の変わり目に農神を祭り、
作物の豊穣を祈り、収穫を感謝する風習がありました。
さらに日本古来の祖先崇拝の信仰と仏教の教えが
一緒になり、日本独自の彼岸の行事となりました。

一般に、春は牡丹餅(ぼたもち)、秋は御萩(おはぎ)、Botann
それに五目寿司などを作って仏壇に供え,
仏さまを供養し、祖霊を祭ります。
家族揃って寺参り、お墓参りに行きます。

 

牡丹餅と御萩(ぼたもちとおはぎ)

春に作るものを牡丹餅と言い、
秋に作るものを御萩または萩の餅といいます。
それぞれ春の花「牡丹」と、秋の花「萩」に見立てた名であって、
同じもののことです。

同じものを季節で言いかえるとは、
これこそ日本人の繊細な感性と言えましょう。

 

ぼたもちの異名

春秋で呼び名が変わるぼたもちですが、Ohagi
さらに夏と冬でも変える人がいるそうです。
また、粒あんのものをおはぎ、
こしあんのものをぼたもち、と言い分ける人もいます。
秋は収穫したての皮の柔らかい小豆で粒あんにし、
春は冬を越した皮の堅い小豆でこしあんにするからだそうです。
あんこの餅をぼたもち、きなこのものをおはぎと呼ぶ人もいます。

その他ぼたもち・おはぎには、地域や各家庭、
作り方の違い等で多くの異名があるようです。
それだけ広く食べられているということでしょう。
しかし昔は大変なご馳走で、春は豊作を願い
秋は収穫への感謝として、神さまやご先祖さまに捧げる時か、
特別なお客さまをもてなす時にだけ作られたものでした。
今では一年中売られており、多くは「おはぎ」で通用しています。

 

 

春よ来い    作詞/相馬御風  作曲/広田竜太郎

 Momom

1.春よ来い              はやく来い
  歩き始めた             みいちゃんが
  赤い鼻緒(はなお)の       じょじょはいて
  おんもへ出たいと         待っている

2.春よ来い              はやく来い  
  お家(うち)の前の         桃の木の
  つぼみもみんな          ふくらんで
  はよ咲きたいと          待っている

 

        『木かげ』  大正12年

 

 

 

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ホワイトデー

 

ホワイトデー   3月14日Marshmallow

「バレンタインデー」に愛を誓った恋人同士が、
その愛の確認をする日。
「バレンタインデー」に女性からチョコレートを受け取った男性が、
その女性にお返しとしてお菓子を贈る日。

 

ホワイトデーの由来

2月14日の「バレンタインデー」は、女性から男性に
チョコレートを贈り、愛の告白をする日でした。
これは、西洋の「バレンタインデー」をアレンジして、
チョコレート菓子業界が仕掛けて作った日本独自の習慣です。Candy

この「バレンタインデー」に対し、
「全国飴菓子工業共同組合」が、お返しも催事にしようと発案し、
1980年に「ホワイトデー」を謳って宣伝販売をしました。

つまり当初は、「バレンタインデーのチョコレートのお返しに、
キャンディーやクッキー、マシュマロなどを贈りましょう!」
ということで始まったのですが、今ではお菓子に限らず、
アクセサリーなど色々な贈り物がなされるようになりました。

そしてこの「ホワイトデー」も日本独自の習慣として定着しました。
近年では日本の影響を受け、韓国などアジアの国々にも
「ホワイトデー」は浸透しつつあるようです。

なぜこの日を「ホワイトデー」というのかについては、
飴の材料の砂糖が白いからという説、
マシュマロの色の白からという説、
純粋の象徴の色が白だからという説、など色々あるようです。Cookie

 

3月14日になったわけ

3世紀後半、ローマ帝国の結婚禁止令に反対した
バレンティノ司教は、恋人同士をかくまい結婚させたため、
2月14日に処刑されました。このバレンタイン司教の
殉教日が、「バレンタインデー」の由来とされています。

その1ヶ月後の3月14日に、バレンティノ司教によって
結婚した2人が、改めて永遠の愛を誓い合ったといいます。
このことからこの日を「ホワイトデー」にしたといわれています。

 

白という色

白い色には、ほとんどの国と文化で共通のイメージが
あるようです。神聖、清浄、清潔、清純、純真、純潔、潔白、
善などの象徴とされ、多くは良い意味に捉えられています。

日本では、赤が太陽を象徴する色であることは周知ですが、Color
白も同じく太陽を象徴する色です。
「白日」(はくじつ)は、くもりのない太陽、照り輝く太陽を表します。

奈良時代には、白色を「祥」、つまりめでたいしるし、さいわいの兆し
と考えていました。「紅白」がめでたいとされるのは、もとは赤も白も
太陽の色であることからなのです。

中国古来の「五行」(ごぎょう)では、白は金と義を表しています。
風水では、白は気を浄化し毒素を洗い流す色で、心と体を一転
させる力があるとされています。ですから、出発点に戻り
やり直しをするような場合に、白は運気を高め後押ししてくれます。

何をやってもうまく行かない時や気分のすぐれない時は、
白い服や下着を着たり、白いファブリックや小物を使用しましょう。
勇気を出したい時やパワーが欲しい時は、白に自分の好きな色、
または目的別の色を組み合わせてみましょう。

目的別の運気を上昇させる色の例

恋愛       紺、赤、ミントグリーン、ラベンダー、コーラルピンク
金銭       茶、黒、紫、アイボリー、パステルイエロー
健康       赤、青、モスグリーン、ボルドー、ベージュ
心の悩み    若草色、茶、クリーム、オレンジ、パウダーピンク
人間関係    緑、水色、ベージュ、ピンク、パステルオレンジ
仕事・勉強   青、黄緑、オレンジ、アイボリー、クリーム、

 

白無垢・お色直しの由来

日本の結婚式及び披露宴では、花嫁がWedding
白無垢(しろむく)の衣装から色物の衣装に着替える
「お色直し」という習慣があります。

奈良時代から明治の頃まで、婚礼衣装は男女共
基本的に(時代や身分により一様ではない)
白装束でした。

白装束は神事の時に用いる衣装で、穢れを避けるものです。
白い衣装に身を包み、神様に結婚を報告した後、
俗世間に戻ったことを示すために色物に着替えたことが、
そもそもの由来であるといわれています。
(但し今日行われている神前結婚式の形式は、キリスト教の
影響を受けたもので、明治後半から庶民に広まったものです。)

明治以降は、「何の色にも染まっていない白い衣装で結婚式に
臨んだ花嫁が、式後、嫁ぎ先の色に染まることを意味する」
ということが通説になりました。古くは、式服には実家の紋を付け、
色直し後の衣装には婚家の紋を付けたといいます。

ですからいずれにせよ「お色直し」は一回で充分なのですが、
現代では何回も着替えるのが普通となり、花婿までも色直しを
するようになりました。いわば「ショー」化し、もとの意味は
薄れてしまいました。結婚は当の二人の問題であり、
婚家の色に染まる意味の「お色直し」は封建的である
と考える人も多いのでしょう。

しかし、日本の伝統や文化、「家」の在り方として
意味のあったことを、ただの古いしきたりとして切り捨てず、
由来くらいは知っておきたいものです。

 

 

赤い鳥小鳥  作詞/北原白秋  作曲/成田為三Jellybean

 

1.赤い鳥         小鳥
  なぜなぜ        赤い
  赤い実を        食べた

2.白い鳥         小鳥
  なぜなぜ        白い
  白い実を        食べた

3.青い鳥         小鳥
  なぜなぜ        青い
  青い実を        食べた

 

      『赤い鳥』  大正7年

 

 

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啓蟄

 

啓蟄(けいちつ)  3月5日  Mogura

二十四節気の一つ。雨水から15日目頃。
太陽の黄経が345度の時。旧暦二月の節。
冬眠していた虫が穴から出て来るという意味。

 

蟄虫戸を啓く(すごもりむしとをひらく)

「啓蟄」または「蟄虫戸を啓く」とは、寒い冬の間土の中で
過ごしていた虫たちが、春の気配に誘われて目を覚まし、
地上に這い出てくる時季であるという意味です。

この蟄虫(すごもりむし)とは、爬虫類、両生類なども
含まれます。冬眠していたカエルなども姿を見せる
ようになる、ということになりますが、縦長の日本列島では
この時期、それはまだ南の地域に限ります。
北では、啓蟄を過ぎても雪の降る所があります。
しかし太陽の光は確実に強くなっています。Tannpopok

 

二十四節気

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従って
1年を24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しかないため、
実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。

季節   名称
    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候Tyouk

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分して
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

啓蟄は
初侯  「蟄虫戸を啓く」   (すごもりむしとをひらく)
二候  「桃始めて咲く」   (ももはじめてさく)
三候  「菜の虫蝶となる」  (なのむしちょうとなる)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、動植物の活動などを表しています。

 

太陰太陽暦

日本の旧暦のことで、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦です。
つまり、月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていたのです。

    
 

 Me

どこかで春が   作詞/百田宗治  作曲/草川 信

 

  どこかで春が            生まれてる
  どこかで水が            流れ出す

  どこかでひばりが          鳴いている
  どこかで芽の出る         音がする

  山の三月              東風(こち)吹いて
  どこかで春が            生まれてる

 

       『小学男生』    大正12年

 

 

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雛祭り

 

雛祭り(ひなまつり)  3月3日Ohinasama

女児の幸福と成長を祈り祝う日。
上巳(じょうし)の節供に、雛人形を飾り、
桃の花、菱餅、白酒などを供える祭り。

 

雛祭りの起源

平安貴族の「雛遊び」、厄を落とす「流し雛」、「上巳の節供」、
「農業神事」などが合わさり、雛祭りのもとになったといわれています。

古代中国では、上巳の日に水辺で香草を体に塗り、
穢(けが)れを祓(はら)って身を清める風習がありました。
また日本でも、古くから「禊」(みそぎ)や「祓い」(はらい)
という身を清める儀式がありました。Momok

この中国と日本の行事が一緒になって、
上巳の日に、紙や草わらなどで人形(ひとがた)を作り、
これで自分の体を撫(な)でて身の穢れや禍を人形に移し、
自分の身代わりとして川や海に流すようになりました。

このころは、まだ女の子の行事ではありませんでした。
この簡素な形代(かたしろ)は、次第に精巧で美しい
人形(にんぎょう)に変化していきました。
この人形を捨てないで、室内に飾るようになったのが
雛祭りのもとといわれています。

 

雛人形

もとは紙やわらで手作りした人形(ひとがた)を、Ohinasaman
節供が終わると川や海に流していました。
(現在でも、鳥取県や岐阜県のように「流し雛」の
           風習が残っている地方があります。)

また、平安時代の公家の子女の間では、
美しい男女一対の「雛」(ひいな)という人形(にんぎょう)での
「雛遊び」(ひいなあそび)が行われていました。
やがて厄払い用の人形(ひとがた)も、綺麗な対の人形
として作られて飾るようになり、川に流さなくなりました。

江戸時代、寛永の頃からは、雛祭りが行われるようになりました。
元禄時代になると、人形はますます豪華になって雛壇(ひなだん)
に飾られるようになりました。
江戸時代中期には、桃の節供は女の子の祭りとされるようになりました。
江戸時代後期には、人形の数が増え、嫁入り道具をかたどった
家具調度品も添えられるようになりました。

雛人形は時代と共に華美になり、飾り段は二段、三段と増し、
今では七段、八段飾りもできました。

 

雛祭りのお供えHinamaturi

菱餅(ひしもち)  三層(紅・白・緑)の菱形の餅。
           三色は、桃の花・白酒・蓬(よもぎ)を象徴したもので、
           紅は魔除け・白は清浄・緑は邪気を祓う、という意味があります。
           菱(ひし)は縁起の良い植物であると共に、餅の菱形は心臓を
           かたどったといわれています。

雛あられ      干した米を煎ったもので、もとは山遊び・磯遊び・流し雛の時の
           携帯食でした。のちに砂糖を加えた甘い菓子になりました。
           米を煎(い)る時に、よくはぜると吉といいます。

白酒        もとは桃の花を酒に浸した「桃花酒」を飲んでいましたが、
           江戸時代後期から甘い白酒が売り出され、雛祭りの定番Doumyouji
           として飲むようになりました。

草餅        蓬(よもぎ)を蒸して餅米と一緒についたものです。
           蓬は薬草であり、邪気を払うとされます。
           もともとは母子草(ははこぐさ・ごぎょう)が使われていたようです。

桜餅        小麦粉や道明寺粉で作った皮で餡を包み、塩漬けの桜の葉で
           巻いた菓子です。現在では春の和菓子の代表格となっています。

 

雛祭りのご馳走

定番は蛤のお吸い物とおすしです。Tirasi

蛤の潮汁(はまぐりのうしおじる)
       蛤の貝殻は他の貝とは決して合わないことから、
       女性の貞節を教え、夫婦の相性の良さを願います。

おすし   ちらしや五目など、色とりどりの見た目も華やかなもので
       女の子らしさを祝います。

他に、さざえのつぼ焼き、あさりとわけぎのぬた、菜の花のおひたし、
土筆の酢の物、ぜんまいのおひたし、たらの芽の天ぷらなど、
春らしい食材を使い季節感あふれる献立にします。

 

雛壇の飾り方

昔は、人形や小道具の飾り方は、地方により違い、個性豊かなものでした。Hiina
しかし、現在は商業的な基準により一様になりつつあります。

一般的な七段飾り

     一段目    内裏雛(だいりびな)
     二段目    三人官女(さんにんかんじょ)
     三段目    五人囃子(ごにんばやし)
     四段目    随身(ずいしん)
     五段目    三仕丁(さんじちょう)
     六段目    道具(箪笥などの嫁入り道具)
     七段目    道具(駕籠や御所車など)

 

内裏雛(だいりびな)の並べ方

内裏雛は、天皇・皇后の姿をかたどった一対の人形です。Dairibina

日本では古くは、左側(向って右)のほうが位が高いと
されてきました。左大臣は右大臣より格上でしたし、
武家の結婚の儀式などでも、男性が左側に座りました。
ですから内裏雛も、男雛(おびな)は左側、女雛(めびな)は
右側とされていました。

しかし、大正天皇が西欧の王侯貴族のしきたりにならって、
右側(向って左)に立ち、皇后を左側(向って右)に
置かれるようになってから、内裏雛の並べ方も変わった
といわれています。但し、京都では伝統を重んじ、
現在も古式のままの飾り方がされています。

ところで、内裏雛とは、男雛と女雛の一対を指します。
つまり両方のことです。
しかし、男雛をお内裏様、女雛をお雛様というのだと
思い違いをしている人が多いようです。

それは、詩人のサトウハチロー作詞による童謡、
『うれしいひなまつり』が広まってからのことです。
この曲の2番の歌詞、
『♪お内裏様とおひな様、二人ならんですまし顔…♪』
             は、厳密には正しくありません。

今では、「皆が間違えるとそれが正しくなる」
の例の一つになりつつあるようです。

 

敏感になるために

旧暦3月3日は今の4月中旬頃です。Itigo
この頃だと桃の花や供物、ご馳走の材料は自然界に
存在しますが、新暦3月3日ではまだ手に入りません。
現在私たちが使用しているもののほとんどは、
温室栽培や冷凍保存あるいは暖地からの移送など
人工的な操作によるものです。

自然の恵みから自然の気をいただくことを難しくしてしまった
現代の経済社会のシステムでは、鈍感な人間が増えるばかりです。

なるべく、自分の住んでいる土地のその季節に採れたものを
いただくようにしましょう。自分と同じ気を受け入れたもの、
つまり同じ土地で育ったものを食べるのが、一番自分の体や心に
ぴったりと合って健康に良いのです。

都市部に住んでいてそれができない人は、Suika
せめて季節から外れたものは口にしないようにしましょう。

「初物(はつもの)を食べると75日寿命を延ばす」といいますが、
これは自然の初物のことで、人工的に作った季節はずれのものと
間違えないようにしましょう。
自然の初物には精気がみなぎっていますが、人工的に栽培した
季節はずれのものは精気も栄養もひどく劣っているものです。

自然に逆らい、エネルギーを無駄遣いして、無理矢理育てたものに
神々の精気は宿りません。
「季節はずれのものを食べると75日寿命を減らす」と覚えておきましょう。

 

 

 ひなまつり  作詞/海野 厚  作曲/三宅延齢

 

  ひももの花に            お白酒(しろざけ)
  あられ草餅(くさもち)       緋毛氈(ひもうせん)
  おひなさまの            お祭りに
  皆様おまねき            いたしましょう

  五人囃子(ごにんばやし)の    おはやしに
  官女(かんじょ)の舞いの     美しさKoto
  前じゃみんなで           賑(にぎ)やかに
  お琴をひいたり           歌ったり

  遊んでやがて            日が暮れりゃ
  お内裏様(だいりさま)も      おさみしい
  早くおあかり             点(とも)しましょう
  おぼろおぼろの           雛壇(ひなだん)に

  楽しい楽しい             夜(よ)が更(ふ)けて
  外はほんのり            お月さま
  薄桃色(うすももいろ)の      ぼんぼりに
  ねむりゃきれいな          夢ばかり
 

       『日本童謡曲集Ⅱ』   昭和6年

 

 

ひなまつり  作詞・作曲者不詳  文部省唱歌

 Bonnbori

1.赤い毛氈(もうせん)         敷きつめて
  お内裏(だいり)さまは        上の段
  金の屏風(びょうぶ)に        銀の台

2.五人囃子(ごにんばやし)や     官女(かんじょ)たち
  揃って並ぶ               下の段
  どれもきれいな            おひなさま

3.あられ菱餅(ひしもち)        お白酒
  雪洞(ぼんぼり)飾る         おもしろさ
  今日は三月              ひなまつり

 

 

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桃の節句

 

桃の節句・節供(もものせっく)  3月3日Momoy

五節句の一つ。
上巳(じょうし)の節句、雛(ひな)の節句、
三月節句、重三(ちょうさん)ともいう。
桃の花を飾って、災いを払う。
女児のいる家では、「雛祭り」をする。

五節句(節供)
1月7日…人日(じんじつ)
3月3日…上巳(じょうし)
5月5日…端午(たんご)
7月7日…七夕(しちせき)
9月9日…重陽(ちょうよう)

 

上巳の節供と桃

桃の節供は、もとは上巳の節供といい、Momo
3月の初めの巳の日(上巳)に行われていました。
後に、奇数を陽とする陰陽道の影響で、
同じ奇数が重なる日がめでたいとされ、
江戸幕府が三月三日を上巳の節供と定めました。

旧暦3月3日は、今の4月上旬から中旬頃で、桃の花盛りです。
古くから、桃は不老不死の霊力を持ち、邪気を払う力があり、
魔除けになると考えられていました。

日本の神話では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が
黄泉(よみ)の国から逃げ戻る時、追いかけてきた
黄泉の国の軍兵に、桃の実を投げて退散させています。
伊邪那岐命はその桃に、
意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)という名をお与えになり、
「現世の人々が苦境に陥って苦しむであろうその時は、よく助けてくれよ」
と仰せられた、とあります。

伊勢の神宮でも以前は、桃花御饌(もものはなのみやけ)
という神饌(しんせん)を三月三日に供えていたそうです。
宮中では上巳の祝いに桃の花を酒に浮かべて飲みました。
民間でも、桃の花を飾ったり、桃の花を添えて「流し雛」を
行う風習が広まりました。
飾ったり供えられた桃の花は、神様の依り代の意味もあります。

 

曲水の宴(きょくすいのえん)Ogawaa

古代中国では、水辺に行って酒を飲んで穢(けが)れや
禍(わざわい)を祓(はら)う「上巳節」(じょうしせつ)という
行事を行っていました。
これが日本に伝わり、上巳の日に人形(ひとがた)で体を撫でて
身の穢れを移し、それを川に流して身を清める行事となり、
これがのちの雛祭りの起源になったといわれています。

また奈良・平安時代の宮中では、「上巳節」に「曲水の宴」を
張るようになりました。
「曲水の宴」とは、歌人が曲水(小川)のほとりの所々に座り、
上流から流される「盃」(さかずき)が自分の前を通り過ぎないうちに
詩歌を作り、盃を取って酒を飲み、次へ盃を流すという行事です。

 

山遊び・磯遊び Picnic

農村では三月節供に、「山遊び」、「磯遊び」といって、
山や海に出かけて、食事をして遊ぶ風習がありました。
この日は本格的な農作業が始まる少し前で、
「労働をしてはいけない日」とか「家にいてはいけない日」
とされました。

この風習は、神様を迎え飲食を共にする「神祭り」であり、
農耕の開始にあたっての「禊ぎ祓い」(みそぎばらい)
の意味がありました。

村人は蓬(よもぎ)の草餅を食べて体の穢(けが)れをSiohigari
祓(はら)い、揃って山に登り、神の依代(よりしろ)である
季節の花、桃の花の下で、酒宴を開きました。
そして、桃の花を持ち帰り、苗代(なわしろ)の水口(みなくち)
に立て、「水口祭り」をして、豊作を願いました。

海辺の人々は海岸や磯で、川辺の人々は川原で、
飲食をし、遊びました。

春の野遊びや潮干狩りは、
これらの風習の名残(なごり)であろうといわれています。

 

桃と桜はどちらが先に咲くか?

旧暦の3月3日は、今の4月上旬から中旬頃にあたります。
新暦の3月3日頃では、自然の桃はまだ咲いていません。Natinotaki
現在の桃の節供に用いられている桃の花は、人工栽培のものです。

普通、桃は桜より後に咲くものなのですが、
桃の節供が3月にあるために、桃の方が先に咲くと
勘違いしている人が多いようです。

旧暦から新暦に変わった時、日付に意味のある行事は
そのままの日付で残したために、本来の季節とは
1ヶ月程ずれてしまいました。
そのため、季節感を失った人間が増えてしまいました。

しかも人工栽培で、冬に夏の野菜や果物を食べるのが
当たり前になってしまった現代の生活スタイルでは、
季節に鈍感な人間を生み出すばかりです。

季節に鈍感な人は自然に対して鈍感な人であり、
自然に鈍感な人は命に対しても鈍感であるということです。
神仏のメッセージを受けるためには、
もっと季節に対して敏感になるよう心がけましょう。

 

 

  水車       作詞・作曲者不詳  文部省唱歌

 Suisya

1.桃の花散る            小川の水に
  一つかかった           水車(みずぐるま)
  のどかに照らす          春の日浴びて
  こっとん こっとん         車は廻(まわ)る
  こっとん こっとん         車は廻る

2.月の流れる            小川の水に
  一つかかった           水車(みずぐるま)
  汀(みぎわ)の蟲(むし)の    鳴く音(ね)につれて 
  こっとん こっとん         車は廻(まわ)る
  こっとん こっとん         車は廻る

  

     『新訂尋常小学唱歌(四)』  昭和8年

 

 

 

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