閏日

  Tikyuu

閏日(うるうび・じゅんじつ)    2月29日

太陽暦で、2月29日のこと。
地球が太陽を一周する日数の端数を調節するため、
4年に一度、1年を366日にする日。
2月28日の翌日に29日を加える。

 

閏年(うるうどし・じゅんねん)

地球は約365.2422日で太陽を1周しています。
ですから、1年を365日とすると約0.2422日分が余ります。
これが4回分たまると、約0.9688日になります。
それで4年に一度366日にするわけです。

しかし今度は、約0.9688日と丸1日との間で誤差が
生じてしまいます。現在、世界の共通暦である
グレゴリオ暦では、次のように定めています。

1.西暦年が4で割り切れる年は閏年。
2.但し、西暦年が100で割り切れる年は平年。
3.但し、西暦年が400で割り切れる年は閏年。Seikau

この規則で400年に97回の閏年が設けられています。
それでも、約3320年に1日のずれが生じてしまうそうです。

 

閏年とオリンピック

近代オリンピックの夏季大会は、閏年に開催されています。
冬季オリンピックも、1992年のアルベールビル大会までは
同年に開催されていましたが、1994年のリレハンメル大会から、
夏季大会と2年おきの、交互に開催されるようになりました。

 

なぜ2月で調整するのか

現在、多くの国で使われている太陽暦(グレゴリオ暦)は、Rome
旧ローマ帝国時代のユリウス暦に基づきます。この時代の
ローマでは、3月が一年の始まりと考えられていました。
このため一年最後の月である2月で、日数の調整をする
ようになったということです。

 

なぜ2月は28日しかないのか

太陽暦(グレゴリオ暦)は、ユリウス暦に基づいています。
ジュリアス・シーザーはエジプト遠征の時、エジプトの暦法を
ローマに持ち帰りました。この時すでにエジプトでは、1年を
365日とし、閏年を設ける暦法が完成していました。
「ユリウス」とは「ジュリアス」のラテン語読みです。

エジプト暦では、1年を12の月に分け、奇数月を31日、Romeb
偶数月を30日とし、これだと366日になるので、
12番目の月を29日として365日にしていました。

しかし、シーザーの甥で後継ぎになったアウグストゥスが、
自分の権力を示すために戦勝記念月の8月を大の月に
してしまいました。そうなると大の月が7・8・9と3ヶ月も
続いてしまうため、9月以降大小の月を入れ換えたものの、
また一年が366日になり、その調整のため2月はさらに
1日減らされて28日になったのだそうです。

ちなみに、英語の7月・July(ジュライ)は、Julius Caesar
(ジュリアス・シーザー)の誕生月であることにちなんで
名付けられたものです。
8月・August(オーガスト)は、Augustus(アウグストゥス)
から名付けられたものです。

 Romec

西向く士(にしむくさむらい)

30日および28日である小の月を、31日ある大の月と
区別する覚え方として、「西向くさむらい」があります。

小の月、「2月、4月、6月、9月、11月」を
「二、四、六、九、十一」(に、し、む、く、さむらい)
と語呂合わせするのです。漢字の十一を縦書きすると、
武士の「士」に似ることから、十一は「さむらい」と読みます。

しかし、最近は横書きが多いので、十一では「士」に見えません。
「西向く純一」とでもしてみてはいかがでしょう。
「じゅんいち」は「じゅういち」の駄じゃれです。

 

 

閏日生まれの人はラッキー?

閏日生まれの人は、よく冗談を言われたり、からかわれる
対象となることがあります。Birthdayc
例えば、「4年に一度しか歳を取らないのか?」 とか、
「誕生日祝いは4年に1回しかしてもらえないのか?」 とか…。

会話を盛り上げる良い面もありますが、本人にとっては
「相手変われど主(ぬし)変わらず」で、毎度同じことの
繰り返しに、うんざりしている人もいるかもしれません。

でもそれだけ珍しいということなので、ラッキーなことだと
思ってください。というのも、友達や同僚の記憶に残り、
あなたのことをずっと覚えていてもらえる可能性があるからです。

付き合いが無くなってからでも、
「そういえばクラスに2月29日生まれの子がいてさあ…」
などというように、時折話題にされるかもしれないのです。
そしてその話題が、「面白い子だったんだよね!」とか
「いい人でね!」と続くようであれば申し分がありません。

人に思い出してもらえて、それが楽しいことや良い思い出Birthdayb
ならば、あなたはその人の加勢の気、つまりプラスの気を
得ることができて、運気は上昇するのです。
反対に、「イヤな奴だった…」 となると、マイナスの気に
なってしまいますので、あなたの運気は下がってしまいます。

このように人は自分の知らないところで、他人の感情や
意識の影響を受けて、運気が上がり下がりしているのです。
ですから、「人に恨まれるようなことをしてはならない」とか
「人を不快な思いにさせてはならない」と昔から言い伝えられ、
教えられているのです。

このことは誰でもが、心得なければならないことですが、
閏日生まれの人は、なおさら心得ておかなければなりません。
閏日生まれの人は普通の人に比べて、ずっと多くの人に
覚えてもらえて、後々まで話題にのぼる運命にあるのです。
つまり普通の人より、良い運気も悪い運気も増幅しやすいのです。

閏日生まれの人は、この珍しい誕生日をラッキーなものとして、
大いに開運に役立てましょう。笑顔を振りまき、清く行動し、
功徳(くどく)を積んで、良運・吉運を招きましょう。

 

良運を招く心がけ

前項を読んで思い違いをしてはならない、大切なことがあります。Calendar
それは、
「人の噂をして相手の運気が上がり下がりをするのならば、
     憎い相手の悪い話をして相手の運気を下げてやれ」
などと思ってはならないということです。

確かに相手の運気は下がるのですが、同時に自分の運気も
下がってしまうということをわきまえましょう。
言葉には言霊(ことだま)といって、霊力があります。
良いことを言えば良いことが、悪いことを言えば悪いことが
自分に返って来るものなのです。

ですから、あることないこと人の悪口を言ってはなりません。
たとえ本当のことであっても、口に出してはなりません。
普段からなるべく人の良い面を見つけて、褒めたり
お礼を述べるように心がけましょう。

そうすれば、言語精霊が加勢して下さって良運を招くことができます。

  

 

 

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春一番

 

春一番(はるいちばん)  立春から春分までの間Kaze
              
(東京の平均日、民間情報で2月25日頃)
                            (2008年は2月23日)

立春後、初めて吹く強い南風。
発生しない年もある。

 

春一番とは

2月半ばを過ぎると、西高東低の冬型の気圧配置が
くずれ、高気圧が移動性になります。南の温かい空気と、
北の冷たい空気が激しくぶつかり合うようになります。
日本海では低気圧が発達し、ここに台風なみの強さの
南風が吹きこんできます。立春後に初めて吹く、
この強い南風を「春一番」と呼んでいます。

気象庁調べ(気象庁天気相談所作成資料)で、
         最早記録2月5日(1988年)、
         最晩記録3月20日(1972年)、
                           とあります。

なお、気象庁では平均値は算出しないそうですが、
世間では東京の平均日を2月25日頃としています。

 

春一番の定義Kisyouyohou

気象庁による「春一番」発表の目安は、各地により違いますが、
関東地方の「春一番」宣言の条件は次のように定義されています。

以下、気象庁天気相談所作成資料より

関東地方の春一番の発生日は次の条件を満たした最初の日である。
1)立春から春分までの期間に限る。
2)日本海に低気圧がある。低気圧が発達すればより理想的である。
3)関東地方に強い南風が吹き昇温する。具体的には東京において
最大風速が風力5(風速は毎秒8メートル)以上、
風向は西南西から東南東で、前日より気温が高い。
(なお、関東の内陸で強い風の吹かない地域があっても止むを得ない)

以上、気象庁天気相談所作成資料から(一部表現変更。例、WSW→西南西)

これらの条件が整わずに、「春一番」が吹かなかったという年もあります。

 

春一番の語源

名前の語源については諸説あります。石川県能登地方やNamih
三重県志摩地方など西の各地で昔から使われていたようです。
中でも江戸時代の壱岐の漁師達が、春の始めの強い南風を
「春一」(はるいち)と呼び、恐れていたことが発祥である
といわれています。

長崎県壱岐市郷ノ浦町には、安政6年(1859年)2月13日の
春一番で遭難した53人の漁師の供養塔「春一番の塔」が
建てられています。

1959年に民俗学者の宮本常一が、「春一番」という言葉で
気象現象を解説したことから、新聞などで使われるように
なったそうです。その後、広く一般でも通用するようになり、
今では気象用語となりました。

 

突風や気温上昇に注意

「春一番」は、太平洋側では異常高温、Haru4bann
日本海側ではフェーン現象を起こします。

「春一番」の後には、「春二番」、「春三番」とあり、
吹き荒れるごとに春に近づいていきます。
「春三番」は桜のつぼみをほころばせ、
「春四番」は桜の花を散らす風といいます。

これらの強い突風は、大火災や船舶遭難の被害を
もたらしています。急な温度の上昇は、雪崩れや遭難を
起こしやすくしています。また、看板が落下したり、
テントが飛ばされたり、車や自転車があおられたりと、
身近な所でも被害や事故の原因となっています。

漁師さんばかりでなく、すべての人に注意が必要です。

 

 

春風    作詞/加藤義清  作曲/フォスター

 

1.吹けそよそよ吹け       春風よTakoage
  吹け春風吹け         柳の糸に
  吹けそよそよ吹け       春風よ
  吹け春風吹け         我等の凧に
  吹けよ吹け           春風よ
  やよ、春風吹け        そよそよ吹けよ

2.やよ、吹くなよ風       この庭に
  風吹くなよ風         垣根の梅に
  やよ、吹くなよ風       この庭に
  風吹くなよ風         我等の羽根に
  吹くな、風           この庭に
  やよ、吹くなよ風       吹くなよ、風よ

 

     『少年唱歌 初編』  明治36年

 

 

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雨水

 

雨水(うすい)     2月19日Yukidoket

二十四節気の一つ。立春から15日目頃。
太陽の黄経が330度の時。旧暦一月の中。
雪が解け雨水になるという意味。

 

春めく

2月中旬を過ぎると、寒い中にも春の気配が感じられるように
なります。
各地で雪は雨に変わり、雪解けが始まります。
雲は千切れ雲から綿雲になり、ゆっくりと流れるようになります。
空の色は、寒々した濃紺から暖かみのある青さになってきます。

 

二十四節気

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従ってYukidoke
1年を24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しかないため、
実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。

季節   名称
    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分して
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

雨水は、
初候 「土脉潤い起こる」  (どみゃくうるおいおこる)、
二候 「霞始めてたなびく」 (かすみはじめてたなびく)、
三候 「草木萌え動く」    (そうもくもえうごく)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、動植物の活動などを表しています。

 

太陰太陽暦

日本の旧暦のことで、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦です。
月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていました。

 

 

どじょっこふなっこ  東北地方方言わらべ歌 作曲/岡本敏明

  Kinngyo

1.春になれば               氷(しが)こも解けて
  どじょっこだの ふなっこだの     夜が明けたと思うベナ

2.夏になれば               童(わらし)こ泳ぎ
  どじょっこだの ふなっこだの     鬼こ来たなと思うベナ

3.秋になれば               木(こ)の葉こ落ちて
  どじょっこだの ふなっこだの     舟こ来たなと思うベナ

4.冬になれば               氷(しが)こも張って
  どじょっこだの ふなっこだの     天井こ張ったと思うベナ

 

    『青年歌集(一)』  昭和23年

 

 

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涅槃会

 Buttou

涅槃会(ねはんえ)  2月15日

釈迦入滅(しゃかにゅうめつ)の日。旧暦2月15日
各寺院で、釈迦の遺徳を讃える法会が営まれる。

涅槃会には、各地の寺で釈迦の遺徳奉讃追慕のため、
涅槃図(ねはんず)を掲げ、遺教経(ゆいきょうぎょう)を
読誦(どくじゅ)します。
涅槃会は、推古(すいこ)天皇の時代、奈良の元興寺
(がんごうじ)で行われたのが最初といわれています。

 

涅槃会を行う日

お釈迦様が亡くなられた日は、
陰暦の2月15日とされています。
現在、法会は寺院や宗派により、
   旧暦の日付をそのまま新暦2月15日で行う所、
   1か月遅れの新暦3月15日で行う所、
   旧暦の2月15日に行う所、
                 などに分かれています。
法会の形式も様々です。

                                              (仏像はお釈迦様ではありません。イメージとお考え下さい。)

 

涅槃団子

寺では涅槃会の供物として、涅槃団子を供えます。 Hasun
この供物には、やしょうま、やせうま、花草餅、花草団子
など、寺や地域により別名があり、形も様々です。

大体は、米の粉で作った色とりどりのもので、
お釈迦様の舎利(しゃり)が五色に輝いていた
という言い伝えから、色付けがされているそうです。

法要後は参詣者に配られます。
この団子を食べると無病息災で過ごせ、またこの団子を
お守りにすると災難除けになるといわれています。

民間でも地方により、手作りした団子を仏壇に供える
風習があります。近年は、餅菓子店やスーパーなどでも
販売されるようになりました。

 Kumonoito

涅槃図(ねはんず)

涅槃とは寂滅(じゃくめつ)を意味する梵語です。
涅槃図には、釈迦が裟羅双樹(さらそうじゅ)の下で、
頭を北、面を西、右脇を下にして臥し、涅槃に入る様子が
描かれています。釈迦の周囲には、弟子を始め、
菩薩・天竜・鬼畜などが泣き悲しんでいます。

葬儀の時、遺体を「北枕」にして寝かせるのは、
この釈迦入滅にならい、お釈迦様にあやかろうと、
同じ向きに安置するようになったといわれます。

 

「北枕」は縁起が悪い?Kangaroo

「北枕」で寝るのは縁起が悪い、と一般にいわれています。
死者と同じ向きであるために、不幸(死)を連想させるからです。
しかしお釈迦様と同じ向きなのですから、実は縁起が良いのです。
風水では、北に頭を向けて寝ると頭が冴える、と考えられています。

この頃勉強や仕事の成績が芳(かんば)しくない、
という人は、北枕にしてみてはいかがでしょうか。

 

 

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バレンタインデー

 

バレンタインデー   2月14日Valentinea

聖バレンタイン・デー(セント・バレンタイン・デー)
 St.Valentine's Day

聖人バレンタインの殉教を記念する日。
日本では、女性が好きな男性にチョコレートを贈る日。

 

由来

バレンタインデーの由来には諸説あります。
最も広く伝わっている説は、次のようなものです。

3世紀後半の2月14日、バレンティノ司教が、
ローマ帝国の皇帝クラウディウスに処刑されました。
当時皇帝は、強兵策として兵士たちに結婚禁止令を
出していました。しかし司教は反対し、恋人ができた
兵士をかくまって密かに結婚させていました。

このことがキリスト教を弾圧していた皇帝に知られ、Valentinec
処刑されたのです。のちにバレンティノ司教の行いは
評価され、司教の命日はカトリックの祝日となりました。

このことと古代ローマの若い男女の祭りとが結びついて、
この日は「男女の愛の誓いの日」になりました。

またこの日から小鳥たちが、「結婚相手を求めて
飛び回り始める」、ともいわれています。

 

チョコレートと日本の習慣

欧米では、バレンタインデーには男女を問わず
恋人同士が花や菓子、カードを贈ります。また夫から妻へ
アクセサリーを贈ったり、友人にカードを贈ったりもします。

チョコレートを贈る習慣は、19世紀後半のイギリスで
始まったといわれています。当時イギリスの菓子メーカーが、
贈答用として綺麗な絵の描かれたものやハート型の
ボックス入りチョコレートを売り出しました。これらがValentineb
バレンタイン用の贈り物として多く使われるようになり、
このことが日本にも伝わりました。

そして日本で、「女性から男性にのみチョコレートを贈る」
という習慣が作られました。また、贈るものが
「チョコレート」と限定的なのも日本だけのことです。

1958年(昭和33年)、ある洋菓子メーカーが
「女性から男性へチョコレートを贈る日」とする
バレンタイン商戦を企画してから、流行し始めたのです。

日本では、この日は「女性から男性へ愛の告白をしてもよい日」
とされています。
以前は、「女性側から男性へ告白するのは、はしたないことだ」、
という考えがありました。
大抵の女性は、男性からの告白を待つしかなかったのです。

恥ずかしくて言葉に出せなくても、チョコレートを贈ることで
気持ちを伝えることができることから、この告白方法は
多くの女性に勇気を与え、後押しをしたのです。

洋菓子メーカーの戦略はあたって、今では日本の年中行事と
言えるほどにもなりました。そして近年は、恋する男女間に限らず、
あらゆる人間関係に使われるようになっています。
また最近では、「義理チョコ」などのような無駄な出費は控え、
その分を恵まれない人々に寄付しようという運動もあります。

 

 

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建国記念の日

 

建国記念の日(けんこくきねんのひ) 2月11日Kennkoku

「建国をしのび、国を愛する心を養う」趣旨として、
1966年(昭和41年)に制定された国民の祝日。

 

紀元節

この日は旧制では、「紀元節」(きげんせつ)といわれる
祝日でした。

1872年(明治5年)、明治政府は『日本書紀』をもとに、
初代天皇とされる神武(じんむ)天皇の即位の日を、
祝日にすることを定めました。翌年の1873年(明治6年)、
祝日の名前が「紀元節」と決まりました。

この祝日は、『紀元節』という歌とともに国民に親しまれて
きましたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に
廃止されました。

さまざまな議論ののち、1967年(昭和42年)より同じ日を
「建国記念の日」として祝うようになりました。

 

皇紀  神武天皇即位紀元

「皇紀」(こうき)とは、日本書紀の紀年に基づき、
神武天皇即位の年を紀元元年とする紀年法です。

日本書紀には、神武天皇が、辛酉(かのととり)の年の
正月朔日(ついたち)、大和(やまと)の畝傍(うねび)の
橿原宮(かしはらのみや)で即位したとあります。

それをもとに太陽暦に換算すると、紀元前660年2月11日
になるのだそうです。

皇紀への換算法は、西暦に660年を加えます。
例えば、1940年(昭和15年)は、皇紀2600年になります。
この年は、さまざまな式典、大祭、行事が行われ、
式典に合わせて作られた『紀元二千六百年』という歌が
流行しました。

 

 

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針供養

 

針供養(はりくよう)  2月8日Harik

裁縫で折れたり曲がったりした針を集めて、供養する行事。
豆腐やこんにゃくに刺して、各地の淡嶋神社に納めるなどする。
使ってきた針に感謝をして、裁縫の上達を願う。
地方により、12月8日に行う所もある。

 

淡嶋神社

淡嶋(あわしま)神社は、和歌山県和歌山市加太(かだ)
にある加太淡嶋神社の通称で、全国の淡島神社、
粟島神社、淡路神社の総本社です。

主祭神は少彦名神(すくなびこなのかみ)で、
裁縫の道を初めて伝えた神様とされています。
少彦名神は医薬の神様でもあり、特に婦人病に
霊験があるといわれています。

また、淡嶋神社には婆利塞女(はりさいにょ)というHaril
神様が祀られおり、針に結び付けて針供養を行うように
なったともいわれています。

 

針仕事

昔はどの家庭でも、日常的に針仕事をしていました。
着るものはほとんどのものを、一家の女性が縫っていました。

針供養は江戸時代の女性の年中行事で、この日は
針仕事を休み、針子たちは晴れ着を着て裁縫師匠の
家に集まりました。一年間使用した針に感謝し、古針に
五目飯などを添えて淡島神社に供え、裁縫が上達する
ように祈りました。針を豆腐やこんにゃく、餅に刺したり、
紙に包んで海や川に流す所もありました。

針供養は、明治の中頃までは全国的に行われており、
現在でも色々な形で残っています。裁縫師や和裁・洋裁の
学校などでは、今でも大切な行事となっています。

 

 

 

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立春

 

立春(りっしゅん)    2月4日Turarah

二十四節気の一つ。大寒から15日目頃。
太陽の黄経が315度の時。旧暦一月の節。
春の始め。旧暦では一年の始めでもあった。

 

「立春」とは、「春の気立つ」、つまり「春が始まる」という
意味です。中国から伝わった、「二十四節気」の一つで、
「冬至」と「春分」の中間にあたります。

中国の暦法では、一年の起点を冬至に置き、冬至から
約45日目を立春としていました。この日から「立夏」の
前日までを春の季節としました。

立春は色々な行事の起点となっています。
立春から数えて88日目を「八十八夜」、
210日目を「二百十日」といいます。

 

正月節 Kairakuenn

旧暦では、「立春」を正月にするという考え方があり、
この日を一年の始まりとしていました。春の始まりが
一年の始まりでもあったことから、新暦となった現代も
年賀状に、「初春」・「新春」と書く習慣が残っています。

但し暦の日付では、必ずしも立春が元日にはなりませんでした。
新年になる前に立春が来ることを「年内立春」といい、
次の年は「立春」がないことがありました。
元日以後に来ることを「新年立春」といいます。
また、元日と重なることを「朔旦立春」(さくたんりっしゅん)といい、
大変めでたいとされました。

 

寒明け

立春になることを「寒明け」(かんあけ)といいます。
小寒から節分までの「寒の内」が、二十四節気で最も
寒い頃でした。立春を過ぎると、暦の上では春になります。

しかし、実際には2月が一番寒く、降雪も多い月です。
春を実感するのには、まだ早いですが、関東以西では、
このころから少しずつ太陽の光に力強さが出て、
若草が萌え出し、春めくようになります。

 

二十四節気Ice

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従って
1年を24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しかないため、
実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。

季節   名称
    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候Umeb

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分して
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

立春は、
初候 「東風凍を解く」 (とうふうこおりをとく)
二候 「鶯鳴く」     (うぐいすなく)
三候 「魚氷に上る」  (さかなひにあがる)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、動植物の活動などを表しています。

 

太陰太陽暦

日本の旧暦のことで、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦です。
月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていました。

  

 

うぐいす  作詞/林 柳波  作曲/井上武士

 Umea

1.うめの小枝で         うぐいすは
  春が来たよと         うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ     ホウ ホケキョ

2.雪のお山を          きのう出て
  里へ来たよと         うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ     ホウ ホケキョ

 

      『ウタノホン(上)』  昭和16年

 

 

早春賦(そうしゅんふ) 作詞/吉丸一昌  作曲/中田 章

 

1.春は名のみの        風の寒さやHarunoyuki
  谷の鶯(うぐいす)      歌は思えど
  時にあらずと         声も立てず
  時にあらずと         声も立てず

2.氷解け去り          葦(あし)は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと         思うあやにく
  今日もきのうも        雪の空
  今日もきのうも        雪の空

3.春と聞かねば         知らでありしを
  聞けば急(せ)かるる     胸の思(おもい)を
  いかにせよとの        この頃(ごろ)か
  いかにせよとの        この頃か

 

       『新作唱歌(三)』  大正2年

 

 

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節分

 

節分(せつぶん)   2月3日Setubunn

立春の前夜、豆まきや焼嗅(やいかがし)で、
鬼を追い払う行事。
悪疫退散、招福を願う。

 

節分とは?

「節分」とは、「節を分ける」、つまり季節を分ける
ということです。もともとは春、夏、秋、冬の
4つの季節の変わり目を意味していました。
ですから昔は、「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」の
前日すべてが「節分」でした。

旧暦では、「立春」の頃は一年の始まりでもあることから、
次第に春の節分が重んじられ、「節分」といえば、
この日のことをいうようになりました。
旧暦では、元日から七日正月までに
この日の来ることが多かったのです。

 

節分行事

豆まき

もとは、大晦日の追儺(ついな)の行事でしたが、旧暦ではIwasi
正月と節分がよく重なったため、追儺(ついな)の行事と
節分が合わさり、節分に豆まきをするようになりました。

神社などでは、鬼に扮した人に豆を投げつけて追い払う
儀式をします。芸能人や力士が豆をまいたり、趣向を
凝らした催しを行う所もあります。

家庭では、煎った大豆を升(ます)に入れ、神棚に供えます。
夜、窓や戸口を開けて、「鬼は外」と言いながら、外に豆を
まきます。鬼が入らないように窓を閉め、今度は部屋ごとに
「福は内」と言いながら、豆をまきます。

この煎った大豆は「福豆」と呼ばれ、年の数か年より1つ多いHiiragi
数を食べると、健康に良いといわれています。
穀物には霊魂が宿っており、人間の霊魂の再生を図るために
その穀霊をいただくという考えからです。
またそうした霊力を持つ豆をまくことで、悪霊を退散させることが
できると信じられてきました。

焼嗅(やいかがし)

強烈なにおいで鬼退治をする方法です。
ヒイラギの枝に火であぶったイワシの頭を刺したものを、
家の戸口に結び付けたり、さしたりすることで、鬼を退散させます。

悪鬼はイワシのにおいが嫌いで、イワシのある家には入らない
といわれています。もし鬼がこれを取り除こうとすればヒイラギの
トゲが手に刺さるとか、トゲが鬼の目を刺すといわれています。
ネギ、ニンニク、ノビル、トベラなど臭気の強いものを添える
地方もあるそうです。

恵方巻きMakizusi (えほうまき)

大阪を中心とした節分行事に「巻き寿司のまるかぶり」
があります。その年の恵方(歳神さまがいる方角)に向かって、
                (平成20年は南南東)
巻き寿司を一本丸ごと無言で食べると縁起が良い、とされます。

巻き寿司なのは福を巻き込むため、まるかぶりをするのは、
刃物を入れると縁が切れるからだそうです。
近年では、この風習が全国的に広まってきました。

 

追儺(ついな)・鬼やらい

中国周代の、各季節の終わりに行われた儺(おにやらい)という、
悪気邪気を追い払う行事がもととされています。

平安時代の宮中では、方相氏(ほうそうし・呪師)が鬼に扮し、
桃の弓、葦の矢、桃の杖を持った人たちに追われる行事が
行われていました。
南北朝の頃、「豆うち」・「豆まき」が行われるようになりました。
室町時代の中期から柊(ひいらぎ)の枝に、鰯(いわし)の頭を
刺したものを門口に置いて、邪気を払うようになりました。

その後、「追儺」の行事と日の近い「立春前の節分」とが混同され、
節分に豆まきをする風習が定着しました。
江戸時代には、節分前になると鰯や柊の物売りがはやったそうです。

 

日本の鬼

中国で行われていた「追儺」の鬼は、悪霊か禍(わざわい)Namahage
の象徴とされています。

古来日本でも、山の中には鬼が住んでいると信じられていました。
しかし中国の鬼とは違い、日本の鬼は、山の精霊のひとつであり
「いい鬼」だったのです。
各地に、鬼の田、鬼の足跡などと呼ばれる場所があり、
鬼と親しくなった村人が、鬼に酒や食物を与えたところ、
お礼に薪や毛皮をもらったというような言い伝えがあります。

鬼を先祖の霊と考えて、「鬼神様」として祀る地方や、
鬼を「守護神」とする地方もあります。
秋田県男鹿半島周辺の「なまはげ」も、神様が姿を変えた
「いい鬼」です。

奈良県の天河神社では、
「鬼はすべての意識を超えて物事を正しく見る存在」で、
神として崇めています。そのため節分の時は、
「鬼は内、福は内」と言って豆をまきます。Mamemaki
また、埼玉県嵐山町の鬼鎮神社では、
「福は内、鬼は内、悪魔外」と言って豆まきをします。

どうやら中国の鬼の要素が取り入れられて、次第に
「鬼とは恐ろしい怪物である」
というイメージのほうが強くなってしまったようです。

童話作家・浜田廣介の名作、『泣いた赤おに』は、
「鬼は実は優しい存在である」ということを示しています。
昔の日本人が持っていた温かい心がよみがえってくる傑作です。
読んだことのない人は、是非読んでみることをおすすめします。

この作品を読んで感動し、涙を流した人は、日本人の心を
失っていない人といえましょう。あまり理屈をこねずに、
素直な気持ちで作品を読むことのできる人、
そういう人が神霊とのコンタクトを取れる人です。

 

 

桃太郎  作詞者不詳  作曲/岡野貞一  文部省唱歌

 Momotarou

1. 桃太郎さん          桃太郎さん
  お腰につけた         黍団子(きびだんご)
  一つわたしに         下さいな

2.やりましょう          やりましょう
  これから鬼の         征伐(せいばつ)に
  ついて行くなら        やりましょう

3.行きましょう          行きましょう
  あなたについて        何処(どこ)までも
  家来になって         行きましょう

4.そりゃ進め           そりゃ進め
  一度に攻(せ)めて      攻めやぶり
  つぶしてしまえ         鬼が島Inu

5.おもしろい            おもしろい
  のこらず鬼を           攻めふせて
  分捕物(ぶんどりもの)を    えんやらや

6.万々歳(ばんばんざい)    万々歳
  お伴(とも)の犬や       猿雉子(さるきじ)は
  勇んで車を           えんやらや

 

        『尋常小学唱歌(一)』  明治44年

 

 Saru

桃太郎  作詞/田辺友三郎  作曲/納所弁次郎

 

1.桃から生まれた        桃太郎
  気はやさしくて         力持ち
  鬼ヶ島をば           討たんとて
  勇んで家を           出かけたり

2.日本一(にっぽんいち)の   黍団子(きびだんご)
  情けにつきくる          犬と猿
  雉(きじ)ももろうて       お供(とも)する
  急げ者(もの)ども       おくるなよ

3.激しいいくさに         大勝利Kiji
  鬼ヶ島をば           攻め伏せて
  取った宝は           何々(なになに)ぞ
  金銀珊瑚(さんご)       綾錦(あやにしき)

4.車に積んだ           宝物
  犬が牽(ひ)き出す       えんやらや
  猿があと押す          えんやらや
  雉がつな引く          えんやらや

  

    『幼年唱歌(初の上)』  明治33年

 

 

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