大晦日

 

 大晦日(おおみそか)    12月31日Joyanokane

一年の最後の日。
新年の準備を整え、夜は寝ないで歳神様を迎える。

 

晦日(みそか)

昔は、月末を「みそか」と言っていました。
一年最後の日となる12月の「みそか」は
大きなみそかで、「おおみそか」と言いました。
月末は「つごもり」(晦)ともいうので
「大つごもり」という言い方もあります。

 

除夜と寝正月

除夜(じょや)とは大晦日の夜のことで、Joya
「夜を除く」と書く通り、寝ないで夜を明かすことです。
昔は日暮れから日暮れまでが一日でした。
大晦日の夜には、すでに正月が始まっていたのです。

日本では昔から、年越しの夜は家族全員で家に籠(こ)もり、
眠らないで歳神様をお迎えする、という風習がありました。
大晦日の日没と共に正月の祭りが行われ、夜明けまで
寝ないのが作法だったのです。徹夜で神に仕えた後の
元日は、昼間寝ることを許され、「寝正月」といわれました。

現代人は、真夜中の午前0時に日付が変わることを
当たり前に思っていますが、実はこの歴史は浅い
ものなのです。伝統の行事には、昔ながらの考え方で
行われているものが数多くあります。

 

除夜の鐘

大晦日の夜には、日本中のお寺で除夜の鐘が撞(つ)Kagamimotim
かれます。除夜の鐘は仏教思想に基づいた行事で、
中国宋代に始まったといわれています。
日本では、奈良時代には鐘を鳴らす習慣があった、
とされています。

百八つ鳴らすのは、十二ヶ月と二十四節気、七十二候を
合計した数だといわれています。
後に、人間には108の煩悩(ぼんのう)があり、
それを祓(はら)うために百八つの鐘を鳴らすのだ、
といわれるようになりました。

仏教の教えでは、除夜の鐘の音を聞くと一年の苦しみや
悲しみなどから開放され、新たな気持ちで新年を迎えられる、
といわれています。

鐘の撞き方には、午前0時になってから撞き始める所、
107回までを年内に撞き、最後のひとつを新年になってから
撞く所など、各寺院により作法があります。

 

年越しそば

大晦日には「年越しそば」を食べる風習があります。Soba
かつては、「一日は夕方から始まり夕方で終わるもの」
と考えられていました。ですから、大晦日の夕方はもう
正月の始まりだったのです。昔の時間感覚で言えば、
「年越しそば」は、文字通り「年越し」なのでした。

年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、
長生きできるように願ったもの」といわれています。

江戸時代の商人は、忙しい月末には夜遅くまで働くため、
素早く手軽に食べられるそばを夜食として好んでいました。
それを真似て、家庭でも忙しい大晦日に食べたところから
広まったとされています。

今では、そばはビタミンB群やたんぱく質、ポリフェノールの
一種であるルチンや食物繊維などを多く含み、健康食として
知られています。そばをよく食べれば健康に恵まれるであろうUdonn
ことは、多くの人に期待できることです。(但し、アレルギーの
有る人は例外です。残念ながら私自身はそばアレルギーです。)

また近年は日本蕎麦に限らず、うどん、中華そば、
パスタなどと麺類なら何でも良いとする風潮になっています。

 

大晦日に年越しそばを食べるとお金に困らない

年越しそばを食べると、「長生きできる」というのは
よく知られていますが、大晦日に年越しそばを食べると
「お金に困らない」とか「お金がたまる」ともいわれています。

江戸時代、大阪の金銀細工師は一年の仕事納めの日に、
飛び散った金銀の粉を集めるために、練ったそば粉で
団子を作りそれで床や畳をたたきました。そして金粉銀粉がRamenn
くっ付いた団子を火で焼くと、そばは灰になり金銀の粉だけが
残りました。

こうしたことから、そばは金銀を集める縁起の良いものとされ、
お金に困らないよう願いを込めて食べられるようになった
といわれています。

この言い伝えは、そばを「蕎麦掻き」(そばがき)として
食べていた頃のものだそうです。つまり、まだそばを
細長く加工できなかった時代のことなので、こちらの
「お金がたまる」の言い伝えの方が「長生きできる」の
言い伝えより古いものと考えられます。

そばは、元々は水で練って煮たり、餅のように焼いて
食べていました。江戸元禄の頃に、つなぎを入れて
細長くできるようになったということです。

 

 

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クリスマス

 Christmasa

 クリスマス   12月25日

キリストの降誕祭。
西欧などキリスト教の国では、祝祭日にしている所が多い。

 

冬至とクリスマス

クリスマスはキリストの誕生日とされています。
そして、西暦はキリストの誕生年から数えられています。
しかし実際には、キリストの誕生日も誕生年も定かでは
ありません。

誕生年は、中世の学者の調査から算出されていますが、
明確な根拠はありません。誕生日とされるクリスマスは、
太陽の新生を祝う「冬至の祭り」がキリストの誕生に
ふさわしいとして結び付いたもの、と考えられています。Chrismasf

また、西欧では古くは、12月25日の「冬至」の日をChrisumaso
一年の始まりと考えていました。

クリスマスカードに
  Merry Christmas & Happy New Year !
(メリー・クリスマス アンド ハッピー・ニュー・イヤー)
と書かれるのは、この考えによるものです。

 

日本でのクリスマス

日本に最初にキリスト教を伝えた人は、Christ
フランシスコ・ザビエルという宣教師でした。

室町時代の1549年に日本に渡来し、大内義隆らの大名の
保護を受けながら布教活動をしました。この時代に日本で
最初のクリスマスが行われたと考えられますが、その後
キリスト教の弾圧があり、クリスマスは行われなくなりました。

近代の明治になって復活し、デパートの宣伝や新聞・雑誌の
情報などから、昭和の初めには普通の人々の間にも
クリスマスやサンタクロースが知れ渡るようになりました。

第二次世界大戦後、商業主義による大イベントと化した
クリスマスは、キリスト教徒であるかどうかは関係無く、
娯楽行事として一般家庭に入り込み、日本の年中行事になりました。

 

クリスマスの表記Christmast

クリスマスの文字の表し方には、幾通りか有ります。

Christmas  Xmas  X-mas  Xマス 

「Christ」はキリストです。
「X」はギリシャ語の「カイ」で、キリストを表す「Xristos」の頭文字です。
「mas」は祭日を意味します。

つまりどれも「キリストの祭り」ということなのですが、
日本でよく見かける「X'mas」という「’」(アポストロフィー)が
付いた表記は間違いですので、クリスマスカードを書く時には
注意しましょう。

 

クリスマスカラー

クリスマスツリーの飾り付けやクリスマスプレゼントのChristmasp
包装には、赤・緑・白・金・銀などの色がよく使われます。

それぞれの色には、次のような意味があるそうです。

赤      赤い色は、キリストが流した血を象徴
緑      常緑樹の緑は、永遠の命を象徴
白      白は、清らかさ・純粋の象徴
金・銀    金と銀は、キリストの気高さを象徴

風水では、 赤は生命力を強める色、
        緑は健康・家庭運を上昇させる色、
        白は浄化作用で心身を清める色、
        金は外見的魅力を高める色、
        銀は内面に磨きをかける色になります。

この時期、服装や小物にもクリスマスカラーを上手に使って、
運気を上げましょう。

 

 

 

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クリスマスイブ

 Christmastree

 クリスマスイブ   12月24日

クリスマスの前夜。
キリスト降誕の前夜祭として、
クリスマス当日にかけてミサが行われる。

 

なぜクリスマス前日に祝うのか?

クリスマスは25日なのに、なぜ24日の夜(クリスマスイブ)に
キリストの誕生を祝うのでしょうか。クリスマスイブはパーティや
イベントなどの色々な行事で盛り上がるのに、25日の夜は
何もしないのを不思議に思っている人もおられることでしょう。

昔は、日没と共に一日が終わりました。
そして日没後は次の日であると考えられていたのです。
つまり24日の夜は、もう25日だったのです。

25日の昼にもお祝いの食事をしますが、25日の夜は
次の日の26日になりますから、誕生日は過ぎてしまって
いるというわけです。Chrisutmasd

こういう考え方は、日本も同じでした。
大晦日の夜に寝ないで歳神様をお迎えするのは、
大晦日の夜には、すでに正月が始まっていたからなのです。Socks

現代人は、真夜中の午前0時に日付が変わることを当たり前
に思っていますが、実はこの歴史は浅いものなのです。
伝統の行事は、昔ながらの考え方を重視して、
そのままの「しきたり」としているものが多いのです。

 

サンタクロース

サンタクロースは「セント(聖)・ニコラウス」が Santa
訛(なま)ったものといわれています。

4世紀のはじめ頃、小アジア(現在のトルコ)ミュラの司教
セント・ニコラウスは、貧しい人々に数多くの救いの手を
差し延べたといわれています。

ある時困っている家の煙突から金貨を投げ入れると、
金貨は暖炉に干してあった靴下に入ったという言い伝えから、
クリスマスプレゼントの習慣が生まれたといわれています。

クリスマスは、世界各国の風習や発想と結び付いて
現在のかたちになりました。
サンタクロースも、北欧の伝説と混じり、世界中の人々に
共通のイメージが定着しました。
トルコ生まれのサンタクロースは、いつしか
「北極からトナカイのそりに乗って空を飛んで来る、
大きな袋を持った赤い服と白いひげの老人」になりました。

 

日本のクリスマスイブChristmasm

キリスト教徒のクリスマスは、純然たる宗教行事です。
キリスト教圏のクリスマスは、日本の正月と似ていて、
家族や親族が集まりお祝いの食事をするのが普通です。

日本でも宗教的意義は別として、戦後は一般家庭でも
子供を中心とした家族のお祝いとして習慣化してきました。

しかし今の若者の間では、クリスマスイブは「恋人と過ごす日」
とされ、果ては「恋人と過ごさなくてはならない日」という
強迫観念さえ植えつけられている感があります。
これはバブル期のテレビドラマやコマーシャリズムが
作り上げた、日本だけの考え方です。

外国では、家族が集まるクリスマスに恋人を連れ帰って
皆に紹介する、ということはありますが、恋人同士
二人きりで過ごす習慣はありません。

あくまでもクリスマスは家族と共に過ごす日であり、
家族と楽しく語らい、絆を強める日なのです。

 

 

 

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天皇誕生日

 

天皇誕生日             12月23日Kikum
(てんのうたんじょうび)

 

今上天皇の誕生日(1933年)。
「天皇の誕生日を祝う」趣旨の国民の祝日。
平成元年(1989年)に制定。

 

 

天長節(てんちょうせつ)

「天皇誕生日」は、戦前は「天長節」といっていました。

明治天皇の誕生日は  11月3日、
大正天皇の誕生日は  8月31日、
昭和天皇の誕生日は  4月29日 でした。

昭和天皇の誕生日は、崩御後「みどりの日」となり、
2007年から「昭和の日」と改称されました。
なお「みどりの日」は5月4日に移されました。

 

皇太子時代のエピソード

天皇陛下は、ハゼの研究で知られる魚類学者でもあります。Haze
陛下の魚好きが分かるエピソードを、
元学習院御用掛の高杉善治氏が本に書かれています。
陛下が学習院中等科の頃のことだそうです。

以下、抜粋。

ある日殿下は、角倉侍従、警衛係、私の三人を伴って、
小船で沼津沖へ魚釣りに出かけられた。
ボラ釣りをはじめたら、みるみるうちに船底に獲物の山ができ、
小さな船なので、元気のいい魚は船の外に飛び出してしまうほどだった。
そこで、私は元気にはねまわっている魚をつかまえては、
船底にたたきつけて弱らせていた。

すると船尾に腰をおろして、この様子を見ておられた殿下は、
「高杉!やめて、かわいそうだから」とおっしゃって、とめられた。
そしてたたきつけられて弱った魚を手にとっては体をなでて
海のなかへ一尾ずつ逃がしておられた。
私はそのご様子をみて心暖まる思いがした。

以上。

陛下のやさしいお人柄があらわれている素適なお話ですね。
この他にも、少年時代の陛下の様々なエピソードが記載されています。

引用書籍 『天皇明仁の昭和史』 高杉善治著 ワック発行

 

 

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冬至の行事

 

冬至の行事         12月21日 Kabotya

冬至には、柚子湯に入り、かぼちゃを食べる風習があります。
小豆粥(あずきがゆ)を食べる地方もあります。

 

 

一陽来復(いちようらいふく)

北半球では、冬至の日の太陽の高度は最も低くなります。
一年のうちで、最も夜が長く昼が短くなりますが、
この日を境に昼間の時間が徐々に延びていきます。

このことを「一陽来復」すなわち「陰が極まり陽にかえる」
と考え、これを冬至の別名としています。

「一陽来復」という言葉は他にも、冬が去り春が来ることMikann
を意味したり、物事が悪い状態から良い方向へ転じた時、
などに用いられます。

神社では冬至の日に、「一陽来復」のお札やお守りを配ります。
中でも東京都新宿区の穴八幡宮神社の「冬至祭」は有名で、
「一陽来復御守」を求める大勢の参拝者で賑わいます。
この御守は金銀融通のご利益があるとして、
冬至から節分の日までの間配布されます。

 

冬至とクリスマス

昔は、「冬至は最も大切な日」と考えられていました。Ninnjinn
旧暦時代では、翌年の暦は冬至を計算するところから
作り始められました。

冬至を重要と考えていたのは、日本や中国ばかりでは
ありませんでした。冬至を
「太陽がよみがえる日」とか「新しい太陽が誕生する日」
とする祭りや行事が世界中にあります。

クリスマスも、太陽の光の復活を祝う行事がキリストの
誕生と結び付いたもの、と考えられています。

 

柚子湯(ゆずゆ)

柚子湯とは冬至風呂ともいわれ、柚子の実を入れてTamanegi
たてた風呂のことです。柚子は、丸ごと、あるいは輪切り
にして布袋に入れたものを湯に浮かべます。

昔から、「冬至に柚子湯に入ると風邪を引かない」と
言い伝えられています。柚子の強い香りが邪気を祓い
身を清めるとされ、もとは禊ぎの意味があったといわれています。

今では、柚子湯は香りが良くてリラックス効果があること、
体が芯から温まり風邪予防や神経痛などに効くこと、
皮の成分が皮膚の保護に有効であること、などが
知られています。こんなに良いのなら冬至の日だけ
でなく、寒い間中は毎日柚子湯にしたいくらいですね。

また昔は各家庭で、食べた後のみかんの皮を捨てずに、
干してカラカラになったものを、よく冬のお風呂に入れた
ものでした。いわば自家製の入浴剤だったのですが、
今ではそんなことをする家庭は少なくなってしまったようです。

一時期、みかんの皮に付いた農薬や保存剤等が問題に
なったことがあり、加えて、手軽な入浴剤が種類豊富に
出回っていることなどから、わざわざ手間のかかることをJagaimo
する人が減ってしまったのでしょう。

なお柚子はビタミンCとカルシウムを多く含むため、
食べても風邪予防に効果的です。柚子の砂糖漬け、
柚子ジャムなどは定番ですが、ほかにも柚子を使った
メニューを工夫して、寒い冬を健康に過ごしましょう。

 

冬至の食べ物

昔から、「冬至にかぼちゃを食べると中風にならない」
といわれています。

かぼちゃは夏から秋に収穫されますが保存がきくので、Negi
冬の野菜が少なかった昔は、大変重宝されました。
かぼちゃにはビタミンAが多く含まれ、目や体の健康を
保つのに役立ちます。

また、「ん」の字の付くものを食べると縁起が良いと
いわれています。例えば、にんじん、れんこん、だいこん、
ぎんなん、みかん、きんかん、ぽんかん、かんてん、
こんにゃくなどが挙げられますが、かぼちゃ(南瓜)も
別名を「なんきん」(南京)といい、「ん」が付きます。
どれも、野菜不足になりがちな冬の間の、
ビタミンや食物繊維の供給に適した食材です。

これは平安時代に陰陽師が広めたものといわれており、
最後に「ん」が付くもの、「ん」が二つ付くもの、
「ん」が含まれていればよしとするもの、など諸説あります。
いずれにしても覚えやすくて面白いですが、現代では
これら以外の食材も豊富に出回っていますので、「ん」に
こだわらず根菜類と柑橘類といった、体を温める「冬野菜」を
沢山食べるようにして、寒い冬を乗り切るようにしましょう。
体を冷やす「夏野菜」は、冬の間はなるべく避けるようにしましょう。

 

太陽の色で開運

柚子やかぼちゃの黄色は、光や熱を象徴しており、 Orange
すなわち太陽の力を表す色です。弱まった太陽の光を
強めようという願いを込めて、冬至に柚子やかぼちゃを
神に供え、人々も食べたのだろうと思われます。

太陽の力が衰えている冬の間は、衣服や身の回りの
品にも、努めて黄色やオレンジ色を取り入れましょう。
黄色もオレンジ色も、心身を温める色ですので、
冬の健康を保つのに役立ちます。

その他の効用も挙げますと、

濃い黄色は、楽しいことや金運・財運を招いてくれます。
淡い黄色は、異性、友人、同僚、上司など、
        人との関係を良好にする力を与えてくれます。

濃いオレンジ色は、明るく元気で前向きの考え方になるように、後押ししてくれます。
薄いオレンジ色は、優しく穏やかな心になり、協調性を育む手伝いをしてくれます。

 

 

 

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冬至

 

冬至(とうじ)         12月21日Touji

二十四節気の一つ。大雪から15日目頃。
太陽の黄経が270度の時。旧暦十一月の中。
一年のうちで、もっとも昼が短く、夜が長い日。
この日を境に昼が徐々に長くなる。

 

暦法の起点

古くは、「冬至が一年の始まり」という所もありました。
世界の多くの地域で、「太陽がよみがえる日」として
冬至は最も大切な日と考えられていました。

日本の旧暦時代では、翌年の暦は冬至を計算するところ
から作り始められました。

 

冬至冬中冬初めToujit

冬至はこよみの上では冬の真ん中ですが、
本格的な冬はこれからとなります。そのことから、
「冬至冬中冬初め」(とうじふゆなかふゆはじめ)
と言われています。

立冬から始まる冬ですが、二十四節気は季節を先取り
しているため、冬至の頃でもまだ厳しい寒さを感じない
地域もあります。寒さの厳しさは、冬至を過ぎてからが
一段と増していきます。

ところで冬至の頃は、一年で最も太陽高度が
低い頃なのに、最も寒い頃とならないのは何故でしょうか。
それは、大地も海も夏の温かさを内部に保っていて、
急には冷えないからです。これとは逆に、夏至の頃が
最も暑い頃とならないことも同じ理由です。

 

二十四節気

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従ってToujik1年を
24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しか
ないため、実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。

季節   名称
春    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分してSika
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

冬至は、
初候  乃東生ず      (なつかれくさしょうず)
二候  麋の角解      (おおしかのつのおつる)
三候  雪の下に麦出る (ゆきのしたにむぎでる)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、動植物の活動などを表しています。
 

                                                    (写真は日本の鹿ではありません。イメージです。)

 

太陰太陽暦

日本の旧暦のことで、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦です。
つまり、月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていたのです。

 

 

  大寒小寒   わらべ歌

 

  大寒小寒(おおさむこさむ)Oosamu
  山から小僧が泣いて来た
  何と言って泣いて来た
  寒いと言って泣いて来た
  大寒小寒

  大寒小寒
  山から小僧が飛んで来た
  何と言って飛んで来た
  寒いと言って飛んで来た
  大寒小寒

 

 

 

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赤穂義士祭

 

赤穂義士祭     12月14日Yukitomatu
(あこうぎしさい)  

 

元禄15年のこの日、赤穂義士四十七士が
吉良上野介の屋敷に討ち入りした。
赤穂義士にゆかりのある寺や神社では
各種の行事が催される。

  東京都港区の泉岳寺(せんがくじ)、
  兵庫県赤穂市の大石神社、
  兵庫県赤穂市の花岳寺(かがくじ)、
  京都市山科区の大石神社など。

 

 

忠臣蔵

討ち入りの前年3月14日、赤穂の藩主、
浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)は、
江戸城松の廊下で
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか・よしひさ)
に斬りつけました。

このため浅野は切腹、赤穂藩は取り潰しとなり、Yukik
赤穂藩の約300人の家来は浪人となってしまいました。
一方吉良は、負傷はしたものの命に別状はなく、
何の咎めも受けませんでした。しかし3月26日には
御役御免を願い出て、12月11日には隠居願いも提出しました。

家老の大石内蔵介良雄(おおいしくらのすけよしたか)は、
浅野家再興を願い努力しましたが望みは断たれ、
翌年の7月28日に旧藩士達と仇討ちを決議します。

慎重で入念な準備の末、元禄15年12月14日の夜、
大石を含む赤穂の浪士47人は、主君の無念を晴らすため
吉良の屋敷に討ち入り、吉良を討ち取りました。

この事件は、浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎で、
忠義者の仇討ち(あだうち)として脚色され、
「忠臣蔵」という題名で上演されました。
この舞台は江戸の人々の心をつかみ、感動を与えました。
そして時代が下っても「忠臣蔵」の人気は衰えず、
日本人が最も好む物語の一つとなりました。

ところで、吉良上野介義央は、劇や小説では意地の悪い
悪役として描かれていることが多いのですが、実際は
そうではなかったようです。三河国(愛知県)の領地では、
治水事業や新田開拓などに力を入れた名君として領民に
慕われていました。
現代でも地元での吉良上野介の人気は高いそうです。

浅野が吉良に斬りつけた理由はいまだに不明ですが、
近年では様々な研究・解釈がなされ、単なる仇討ち美談
として描かない小説や映画・ドラマが作られています。

 

12月14日に雪は降るのか?

赤穂浪士の討ち入りは、12月14日の深夜Yukitotuki
(翌12月15日早朝)でした。
忠臣蔵では、当夜は雪が降ったことになっています。
しかし、この時期東京(江戸)では滅多に雪は降りません。

実は、元禄15年(1702)12月14日というのは
旧暦でのことで、太陽暦に直すと翌年(1703)の
1月30日だったのです。1月の末といえば大寒の頃、
つまり一年で一番寒い時期です。
この頃ならば雪が降ってもおかしくはありません。

但し、実際には当日は雪は降っていなかったそうです。
どうやら雪は芝居を面白くする上での創作であるようです。

旧暦14日といえば、ほぼ満月です。
(旧暦では毎月15日頃に満月となりました。)
このことは、明るい照明の無い時代の夜討ちには
重要な条件でした。満月の日を討ち入りの日と
決めたのは、義士達が実際に考えてのことでしょう。

芝居ではその月明かりの上に雪明かりまで得られた
(雪は止んでいて、月が出ているということになる)
のですから、相討ちも避けられ、仇(かたき)を逃がさずに
捕らえることができたということになります。

雪に音が吸収され、義士達は難なく吉良邸に近づけた
ともいわれています。
舞台上の真っ白い雪は義士たちの正義と信念を表す
演出効果となり、「天が義士たちに味方をした」
という筋書きは観客を大いに喜ばせたのでしょう。

 

 

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大掃除

 

大掃除(おおそうじ) 12月中旬~下旬Oosouji

正月を迎えるため、隅々までも掃除し、
一年間の汚れを取ること。
家中をきれいにして、正月の神様を迎える。

 

もとは煤払い(すすはらい)の宗教的行事

煤払いとは、歳神様をお迎えするために
屋内の煤やほこりを払い清める神事で、
12月13日に行われます。

昔は煤払いの日には、武家も町家も、一斉に
大掃除をしました。この日から正月の準備を始め、
正月用の松を山に切り行く「松迎え」なども行われました。

しかし近代に入って正月の準備が簡略化されると共に、
民間の煤払いは形式だけのものとなってきました。

現代の一般家庭では、
煤払いの日には神棚や仏壇の掃除のみ行い、
家中の大掃除は暮になってから行う習慣となりました。

多くの寺社では現代でも、13日に煤払いが行われています。

 

 

大掃除のスケジュール

大掃除はもともと13日の煤払いが由来なので、Oosoujib
暮のあわただしくなる前に済ませたいものですが、
暮が押し迫った25日から28日位の間で行う
家庭が多いようです。

あまり早くやっても正月までにまた汚れてしまうし、
12月は何かと忙しいため結局年末なってしまう
といったところでしょう。そして1日がかりで全てを
済ませたり、何日間かに分けて行ったりと、掃除の
手順は各家庭の事情により様々でしょう。

しかし、29日は避けた方が良いといわれています。
この日は「九」が「苦」に通じるとして、
昔の人は正月飾りを用意したり、餅をついたりという
正月の準備を避けてきました。
大掃除も正月の準備の一つですので、
同様にした方が良いといえましょう。

「迷信などにとらわれず、やれる時にやる。
貴重な一日を無駄にはできない。」
と現代の人は考えがちですが、昔から「いけない」と
されていることはなるべく避けたほうが無難です。

 

良運を招く心がけ

現代では誰もが忙しく、仕事を休めない人も多いので、Bathroom
大掃除は全くしないという人もいます。

家事評論家によりますと、
「普段からこまめにきれいにしておけば、
大掃除などする必要がない」とか
「なにも寒いときにやらなくても、春のゴールデンウィークか
夏休みにやった方が効率が良い」などと言われています。

確かに誰もが時間に追われている現代においては、
それも合理的で良い方法でしょう。

しかし、大掃除はもとは「煤払い」であって、神事なのです。
普段の掃除とは違うものです。ですからどんなに忙しくても、
神棚や仏壇まわりだけはきれいにしましょう。
神棚や仏壇の無い家でも、
せめて玄関とトイレなどの水周りだけは掃除しましょう。

歳神さまに気持ち良く来ていただいて、気持ち良く
帰っていただくことが良運につながります。
歳神さまに守られて新しい年を無事に過ごせるよう、
最低限のことを頑張ってやってみて下さい。

 

 

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煤払い

 

煤払い(すすはらい)  12月13日Houkis

 

正月の神(歳神・としがみ)を迎えるために、
屋内の煤やほこりを払い清めること。
信仰的な行事を伴う。
煤掃き(すすはき)、煤取り節句(すすとりぜっく)ともいう。

 

 

煤払いとは

煤払いは正月の準備の開始(事始め・ことはじめ)で、
歳神様をお迎えする神事です。
一年分の汚れを落とし、その年の厄を祓います。Hataki
この日、室内外の掃除のほかに、正月飾りの松を
山から切って来る「松迎え」なども行います。

煤払いの道具は単なる掃除用具ではなく、
神祭用具とみなされています。
煤払いに使用した藁(わら)や笹のほうきは粗末にせず、
注連縄(しめなわ)を張って祀り神酒や団子などを供えます。
その後小正月の左義長で燃やしたり、あるいは翌年
新しいものを作ったときに海や川へ流すなどしました。
(現代では環境に配慮して、川に流すなどのことはされていません。)

煤払いの日にちも風習も地方により違いますが、
江戸幕府が12月13日に行っていたため、これにならって
江戸では町家でも13日に行われるようになりました。

今でも多くの寺社でこの日に煤払いが行われていますが、
8日や20日だったり、1月に入ってからという所もあります。
有名な寺社では毎年、僧や信者らが仏像やお堂の
汚れを払っている光景の報道がされています。

現代の一般家庭では、この日は神棚や仏壇の掃除のみ行い、
暮近くの25日から28日頃に家中の大掃除をする
という習慣になりました。

 

 

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成道会

 

成道会(じょうどうえ)    12月8日Buddhac

 

釈迦が悟りを開いたとされる日。
各寺院では、これを記念し祝う。

 

釈迦が仏陀になった日

成道とは、成仏得道(じょうぶつとくどう)。
仏道を修めて悟りを完成することです。

釈迦は出家してから6年にわたり
山で過酷な苦行を続けました。
そして、苦行で悟りを開くことはできない
と実感した釈迦は山を下り、
菩提樹(ぼだいじゅ)の根元で座禅を組み、
人間の真実、宇宙の真理に思いをはせました。

瞑想に入って7日目の明けの明星が輝いたころ、
ついに釈迦は悟りを開き仏陀(ブッダ)になった
といわれています。

                                               (写真はお釈迦様ではありません。イメージとお考え下さい。)

 

三大法会

釈迦の誕生を祝う「灌仏会」(かんぶつえ・4月8日)と、
釈迦が悟りを開いたことを祝う「成道会」(じょうどうえ・12月8日)、
入滅の日とされる「涅槃会」(ねはんえ・2月15日)を合わせて、
「三大法会」(ほうえ)といいます。

「成道会」は、新暦12月8日のほかに、旧暦の12月8日、
ひと月遅れの1月8日に行うところもあります。
他の法会も同様で、地方や寺院により日にちが違います。

 

釈迦

釈迦は、紀元前5世紀頃に、インドのヒマラヤ山麓のButtou
釈迦族に属する王と妃の間に生まれました。
父は迦毘羅(かびら)城主の浄飯王(じょうぼんのう)、
母は麻耶夫人(まやぶにん)で、
姓名をゴータマ・シッダールタといいました。

釈迦は王子として何不自由のない暮らしをしていましたが、
王宮の外に出て生老病死で苦しんでいる民衆を見ます。
そして人々を救済する道を求めて、
29歳の時出家し修行の旅に出ました。

苦行して35歳で悟りを開き、以後インド各地を布教し、
80歳で亡くなったとされています。

釈迦は

「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄から生ずるのであり、
無我の境地に立って安心立命せよ。そのために欲望を抑え、
心の平静を保ち、一切生けるものに対して慈悲を及ぼせ」

と説きました。
                                             (仏像はお釈迦様ではありません。イメージとお考え下さい。)

 

 

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針歳暮

 

針歳暮(はりせいぼ)     12月8日Harik
針供養(はりくよう)

 

裁縫で折れたり曲がったりした針を集めて、供養する行事。
豆腐やこんにゃくに刺して、各地の淡嶋神社に納めるなどする。
使ってきた針に感謝をして、裁縫の上達を願う。
2月8日に行われる針供養と同じ。
12月にも行うものを、地方により針歳暮と呼ぶ。

 

 

淡嶋神社

淡嶋(あわしま)神社は、和歌山県和歌山市加太(かだ)
にある加太淡嶋神社の通称で、全国の淡島神社、
粟島神社、淡路神社の総本社です。

主祭神は少彦名神(すくなびこなのかみ)で、
裁縫の道を初めて伝えた神様とされています。
少彦名神は医薬の神様でもあり、特に婦人病に
霊験があるといわれています。

また、淡嶋神社には婆利塞女(はりさいにょ)というHaril
神様が祀られおり、針に結び付けて針供養を行うように
なったともいわれています。

 

針仕事

昔はどの家庭でも、日常的に針仕事をしていました。
着るものはほとんどのものを、一家の女性が縫っていました。

針供養は江戸時代の女性の年中行事で、この日は
針仕事を休み、針子たちは晴れ着を着て裁縫師匠の
家に集まりました。一年間使用した針に感謝し、古針に
五目飯などを添えて淡島神社に供え、裁縫が上達する
ように祈りました。針を豆腐やこんにゃく、餅に刺したり、
紙に包んで海や川に流す所もありました。

針供養は、明治の中頃までは全国的に行われており、
現在でも色々な形で残っています。裁縫師や和裁・洋裁の
学校などでは、今でも大切な行事となっています。

 

 

 

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大雪

 

大雪(たいせつ)    12月7日Taisetu

 

二十四節気の一つ。小雪から15日目頃。
太陽の黄経が255度の時。旧暦十一月の節。
雪が多く降る頃という意味。

 

 

熊穴にかくる

七十二候、大雪の二候は「熊穴にかくる」です。

熊の他にも、様々な動物たちが冬眠を始める時期です。
動物たちは、体に脂肪を蓄え、木の穴や洞窟などに
こもります。冬の間の食料を蓄える動物もいますが、
熊は春まで飲まず食わずなのだそうです。

そのため秋の間に十分に食料を摂取し、体に栄養を Risu
蓄積しなければなりません。しかし近年、熊の生息地には
食用となる植物や昆虫が不足し、エサを求めて人里に
姿を表す熊が増え、問題となっています。

本州にいる月輪熊(つきのわぐま)は、おとなしく臆病な
性格で、普通ならば人を襲うようなことはありません。
しかし飢えていて、かつ危険を感じれば、凶暴になる
こともあります。

そのため人々に危害が出ないようにと、駆除される
ことが多く、今熊は絶滅の危機にひんしています。

この熊の受難は、人間による自然や環境の破壊に
よるものです。熊は山と川と海をつなぐ、大事な役割を
担っています。熊が生き延びることのできる山や環境を
守ることが、結局は人間が生き延びることにつながるのです。

人にとって危険だからという面ばかりを重視して、Kuma
このまま熊を絶滅させてしまうと取り返しのつかない
ことになってしまいます。

それが一体どういうことなのか考えようともしない人
この自然の摂理を全く理解できない人は、
想像力が欠けていると言えます。

そういう人は、「神々と交信する感性が無い」
ということになります。
もっと命と自然に対して敏感になり、
神霊の啓示を受けられる人となりましょう。

                                                   (写真は日本の熊ではありません。イメージです。)

熊と森の関係について詳しく知りたい方はこちらへ
日本熊森協会 http://homepage2.nifty.com/kumamori/index.html

 

 

二十四節気

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陽の黄経に従って1年をKitune
24等分し、それぞれの季節にふさわしい名を付けたものです。
太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年が354日しか
ないため、実際の月日と季節にずれが生じてしまいます。
そこで中国では、季節を知るために太陽の動きに合わせた
二十四節気が作られ、日本にも導入されました。

季節   名称
春    立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏    立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋    立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
    立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 

七十二候

「七十二候」(しちじゅうにこう)とは、各節気を三分してSake
一年を七十二候にし、時候の変化を示したものです。

大雪は
初侯  「閉塞して冬となる」 (へいそくしてふゆとなる)
二候  「熊穴にかくる」   (くまあなにかくる)
三候  「鮭群れる」     (さけむれる)
頃と解説されています。

七十二候は自然や気象の変化、
動植物の活動などを表しています。

 

太陰太陽暦

日本の旧暦で、太陰暦と太陽暦とを折衷した暦のことです。
つまり、月の動きに合わせて月日が考えられ、
太陽の動きに合わせて季節が考えられていたのです。

 

 

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忘年会

 

忘年会    12月中旬~Bounennkai

年末に催す宴会。
一般的には、「その年の苦労を忘れるため」とされる。

 

起源

現代の私達には年中行事的な風習となっている「忘年会」
ですが、はっきりとした起源はないようです。

「忘年会を本格的に論じた、初めての本」という
園田英弘氏のご著書、『忘年会』には、

『現在の私たちが行っている忘年会は、
一つの起源を持っているのではなく、
いくつかの由来を異にする会合が、
徐々に一つの行事になっていったのだと考える。』

とあります。Bounennkaib

園田英弘氏は、

『オーソドックスな民族学の「年中行事」の研究でも、
正月や節分や七夕など由緒正しい行事に比べると、
歴史的由来もはっきりせず、行事としての様式化も
進んでいない忘年会は、うさんくさい年末の行事の
一つに過ぎず、ほとんどの事典や研究書が
それに言及していない。』

さらに、

『忘年会の融通無碍(ゆうずうむげ)な性格によって、
正体が不明である』

と書いておられます。

そして、Tokkuri

* 室町時代の宮中における連歌会の納会、
* 戦国武将の君主と「群臣」との「酒宴」、
* 武士社会の歳暮礼、
* 歳暮礼から派生した役人の「御用納」、
* 江戸町民の大晦日の行事であった「年忘れ」、
* 中国の大晦日行事「分歳」(フンスイ)など、

その他、多くの文献や記録を挙げて
忘年会の起源について考察され、

『明治以降の忘年会に結び付くものは多元的であった。』

とされています。

引用書籍
『忘年会』 園田英弘著  文藝春秋

 

 Bounennkaic

飲み過ぎに注意

年末年始はお酒(アルコール飲料)を飲む機会が多くなります。
お酒は適量ならば「百薬の長」ですが、
飲み過ぎは胃腸や肝臓に負担をかけて体に毒です。

どんなにお酒に強くても、体をいたわってほどほどにしておきましょう。
そしてお酒に弱い人や飲めない人には無理強いをしないことです。
無理に飲ませると急性アルコール中毒で命を落とすこともある、
ということ心得ておきましょう。

 

 

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歳暮

 

歳暮(せいぼ)    12月上旬~25日位Seibo

 

年の暮れ。 歳末。
歳末の贈り物。

 

 

お歳暮

夏の中元と同じように、上司やお世話になった人、
親や親類などに感謝の気持ちを込めた贈り物をします。

普通は12月初旬から中旬にかけて贈るものですが、
デパート等のお歳暮商戦で時期が早まり、
11月下旬から贈る人もいるようです。

地方により時期は違いますが、もともとは20日や28日など、
年の暮れに贈っていたものでした。

 

 

起源Aramaki

夏の中元は、もともと盆神様や祖霊へ供えていたものが、
お世話になった人への贈答の機会として普及しました。

これと同様に歳暮も、年の変わり目に歳神様や先祖の
霊を祀る、「御魂祭り(みたままつり)」の供物として
贈っていたものが、起源ではないかといわれています。

夏と冬のこの時期に先祖に食物を供え、それを一緒に
食べて健康を祝い、感謝をするのがもともとの形だったようです。

したがって贈る物は食品が主でした。
なかでも新巻(あらまき)を贈ることが多く、塩鮭は
保存が利くため、冬の間の食料として重宝しました。
そして、贈られた新巻鮭の本数で交際の広さを誇りにしました。

 

 

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